「なんて書いてあるか分からない」。検査コメントをタブレットに音声入力してみた初日、隣で作業していた後輩がタブレットの画面をのぞき込んでそう言った。表示されていたのは「口径0.2差異あり」のつもりが「厚経濃さゆあり」という謎の文字列だった。うちの検査ラインは方言まじりの会話が飛び交う現場で、しかも稼働中は搬送コンベアの音がずっと鳴っている。記入時間を減らせると聞いて試してみたものの、初日からいきなり出鼻をくじかれた格好だった。
きっかけは記入時間の悩み
受入検査を担当しているのは8人で、1日あたりの検査件数はおよそ45件。1件ごとに寸法や外観のコメントを検査表へ書き込むのに平均で1分半かかる。班長からは「検査そのものより記入のほうが時間を食っている」という声が前々から上がっていた。私も品証課で記録の取りまとめをしながら同じことを感じている。月末に検査表を集計するたび、字が薄くて読み取れない欄や、略語が人によってバラバラな欄に当たる。そのたびに書いた本人へ確認の電話を入れることも珍しくなかった。検査記録そのものはまだ紙の検査表一本で、タブレットは朝礼や在庫確認で使い始めたばかりだった。ちょうど社内の別部署がそのタブレットの音声入力で議事録を作っていると聞き、検査記録にも使えないかと考えたのが始まりだ。数値を読み上げるだけで欄が埋まるなら記入時間はかなり縮むはずだと踏んでいた。字の読み取りにくさの問題も同時に解消できるのではという期待もあった。実は1年ほど前にも別の班が音声入力アプリを試したことがあったが、そのときは「使いにくい」の一言で数日のうちに立ち消えになっている。今回は同じ轍を踏まないよう、感覚だけで判断しないと決めていた。記入時間と誤変換の件数をきちんと記録に残してから、続けるかどうかを決めようと考えていた。

条件をそろえて2週間
思いつきで始めると比較にならないので、試す前に条件を決めた。期間は2週間、対象は同じ受入検査ライン、担当も普段どおり8人のローテーションのままとする。比べたのは2つの方法で、1つはタブレットのメモアプリに標準で入っている音声入力機能を使う方法、もう1つは会社支給のICレコーダーに検査中の気づきを話して録音し、終業後にパソコンの文字起こしソフトへ読み込ませる方法だった。見る指標は3つに絞った。認識の正しさ、修正にかかった時間、そして稼働中のノイズにどれだけ耐えられるかだ。1週目はタブレット入力、2週目はICレコーダーという順番で試し、どちらも同じ検査項目で使うようにしている。試す前に班長会議で「うまくいかなくても2週間で一度区切って結果を見る」とだけ決めておいたのは、後から振り返ると良い判断だった。

タブレット音声入力の実際
1週目のタブレット音声入力は、数値の読み上げに関しては悪くなかった。「口径20.5」「外観良好」のように短く言い切る使い方なら誤認識はほとんど出ず、記入時間はこれまでの1分半から40秒ほどに縮んだ。問題は自由コメントの部分で、「バリが端面に沿って残っている」のような専門的な言い回しになることだった。方言のイントネーションが混じった瞬間に、的外れな変換が返ってくることが多かった。特にベテランの検査員2人の発話で誤認識が目立ち、逆に入社2年目の若手はほぼ問題なく認識されている。誤変換に気づいて検査表を書き直した件数は、1週目を通して2件にとどまる。同じ言葉でも話し方の癖でここまで差が出るとは、試す前は思っていなかった。稼働中のコンベア音がある場所では、音声入力そのものが反応しないこともあった。1週目のあいだに、その場では入力できず紙にメモして後から打ち直した場面が5件出ている。3日目には、ベテラン検査員の1人が「もう紙でいい」と言って自分だけ音声入力をやめてしまい、その日はデータが8人分そろわなかった。翌日に理由を聞くと、「直すほうが最初から書くより時間がかかる」という答えが返ってきている。率直な言い分で、こちらとしても否定しづらいものだった。

ICレコーダーの実際
2週目に試したICレコーダーは、タブレットより指向性のあるマイクのおかげか、コンベアの音に負けて聞き取れない場面はほとんどなかった。検査中はしゃべりながら手を動かせるので、その場での作業自体は一番スムーズだったのもこの方法だ。ただし文字起こしは終業後にまとめて行うため、その日のうちに検査表へ反映できず、翌朝までタイムラグが生じる。文字起こしソフトの精度もタブレットの音声入力と大差はなく、専門用語や方言まじりの発話は同じように崩れて出てきた。班長からは「録っておいて後で直す前提なら、最初から手書きでもいいのでは」という感想も出ている。2週目の食い違い件数は4件で、1週目の2件より多かった。その多くはノイズによる聞き取り漏れではなく、後から確認する工程が抜けたことが原因だった。ある日は終業後の文字起こしが30分ほどで終わる想定だったのに、実際には50分近くかかり、担当した班長の残業につながっている。録音時間そのものは短くても、聞き直しながら誤変換を直す作業は思ったより手間がかかると分かった。

予想と違った点
試す前は、音声入力さえ導入すれば記入時間の悩みはまるごと解決すると考えていた。実際にやってみると、数値のような定型的な項目と、自由な言い回しが必要なコメントとでは、向き不向きがはっきり分かれることが分かった。もう1つ意外だったのは、認識精度の差が現場の騒音より個人の話し方に強く出た点だ。方言そのものというより、語尾を伸ばす癖や早口かどうかが結果を左右していて、対策も「静かな場所で使う」ではなく「言葉の区切り方を工夫する」方向になった。この差を試す前から見抜くのは、正直なところ難しかったと思う。少なくとも私には、実際に8人分のデータを並べるまで見えなかった。
うまくいかなかった場面も残す
2週間の試行のうち、特にうまくいかなかったのは3日目のベテラン検査員の離脱だけではない。7日目には、音声入力アプリがバックグラウンドで落ちていたことに気づかなかった。午前中の検査分がまるごと記録されていなかったという事故が起きている。幸い紙のメモが残っていたので後から復元できたが、この日だけは記入時間の短縮どころか、通常より30分ほど余計に時間がかかっている。原因はアプリの自動終了設定を誰も確認していなかったことで、これは音声入力そのものの精度とは別の、運用側の見落としだった。この一件があってから、朝礼で「アプリが起動しているか」を確認する項目を1つ増やしている。技術的な精度の問題だけでなく、こうした基本的な確認漏れのほうが記録の抜けに直結する。この試行であらためて思い知らされた。その日の午後、品証課長に事故の経緯を報告したところ、「便利な道具ほど、止まったときに気づきにくい」と言われたのが妙に印象に残っている。紙の検査表であれば書いた瞬間に手元に残るが、音声入力はアプリが正常に動いているという前提の上に成り立っている。その前提が崩れたときの備えまで含めて運用と呼ぶのだと、このとき初めて実感した。
今の使い分け
結局、検査記録の全部を音声入力に置き換えるのはやめた。今の運用は、寸法値や合否判定のような定型項目だけタブレットの音声入力を使い、自由コメントは引き続き手書きに戻すという住み分けにしている。ICレコーダーは記録用としては使わず、新人が検査コメントの言い回しに慣れるまでの練習用として残すことにした。記入時間は完全な音声化ほどではないが、定型項目だけでも1件あたり20秒ほど短縮できていて、8人×45件の規模で見ると1日の合計ではそれなりの積み上げになっている。方言と現場の騒音、どちらも敵にはなったが、思っていたより厄介だったのは騒音より方言の側だった。この使い分けが半年後も同じ形のままかは、正直まだ分からない。次に検査ラインが増えたときに同じやり方を横展開できるのか、今はまだ様子を見ている段階だ。もう1つ、今回の試行で見えたのは、若手とベテランで音声入力への向き合い方がそもそも違うという点だ。若手は誤変換が出ても「ああ、また変換ミスか」と笑って直すだけだったが、ベテランは1回の誤変換で信頼を失いやすく、いったん「使えない」と思うと元の手書きに戻る速度も速かった。だから今の運用では、音声入力を使うかどうかは班長の判断に任せ、無理に全員へそろえていない。8人のうち今も定型項目で音声入力を使っているのは5人で、残る3人は最初から紙のままだ。全員をそろえることにこだわらなかったのも、今回の試行から得た小さな学びの1つだった。

記録として何をどこまでデジタル化するかという判断の整理は、ものづくりポータルの日常の検査・検査表運用のページでも扱っている。
参考書籍
記入作業そのものを見直すきっかけになったのが『無くせる会社のムダ作業100個まとめてみた』(元山文菜)だった。検査記録に限らず、社内のちょっとした手間を洗い出す視点は、今回の比較でも参考にしている。
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無料のタスク管理ツールを3つ試して、現場に残ったのはどれか:条件をそろえて複数の方法を比べる進め方が今回と共通している。
検査記録を紙から電子に切り替えたら、まるまる1か月だけ二重運用になった話:この試行のあと、検査記録そのものを電子へ移したときのつまずきの話。
この記事は筆者の職場での試行記録であり、音声入力ツールの認識精度や導入効果を保証するものではありません。使用感には環境や個人差があるため、導入の判断は自社の環境で実際に試したうえで行ってください。