現場の掲示物をQRコードに変えたら、かえって見られなくなった話

朝礼が終わってすぐ、検査室の壁際で足が止まった。去年の秋に貼った注意書きが、角を丸めたまま画鋲で留まっている。文字はもう薄れかけていて、内容を気にしている人はいなさそうだった。隣を通りかかった班長に「これ、今も見てます?」と聞くと、彼は少し笑って「貼ってあると安心する人の方が多いと思いますよ」と返してきた。

図星だった。

私は品質保証部の管理職として、10人ほどの部下と一緒に検査と現場の運用を見ている。それなのに、掲示物が実際に読まれているかを一度も確かめたことがなかった。貼ることが仕事の終わりになっていて、読まれた後のことまで考えていなかった。掲示板の前で立ち止まった数分間で、自分がずっと同じ思い込みで運用してきたことに気づいた。

目次

紙の掲示物が形骸化していた

掲示物の状況(切替前)を示す図
掲示物の状況(切替前) ※筆者の運用記録(対象:フロア掲示物42枚・期間:制度見直し着手時点)

あらためて検査室と製造フロアを歩いてみると、掲示物の数そのものに驚いた。安全標語、品質速報、作業標準の改訂連絡、朝礼の議事メモ、そして半年前に終わった品質月間のポスターまで、剥がされずに残っていた。数えると全部で42枚。掲示スペースの決まりがなく、空いている壁にとにかく貼り足してきた結果だった。

更新の頻度もばらばらだった。品質速報は週1回貼り替えているが、作業標準の改訂連絡は四半期に一度しか動いていない。3か月前に終わったはずの4M変更の周知が、今も「実施中」の紙のまま残っている掲示もあった。改訂のたびに古い紙の上から新しい紙を重ねるだけの箇所もあり、めくれば3枚重なっている場所が5か所見つかった。班長にそのことを伝えると、「剥がすタイミングが決まっていないので、つい重ねてしまう」と本人も苦笑していた。

ヒヤリハット報告と是正処置の記録を1か月分さかのぼって見直したが、掲示物の内容を根拠に挙げた記述は1件もない。壁は情報で埋まっているのに、誰の行動にもつながっていなかった。この状態を放置してきた責任は、貼る側の私にある。

QRコード化を決めた3週間

QRコード化後3週間のアクセスログ推移を示す図
QRコード化後3週間のアクセスログ推移 ※筆者の運用記録(対象:共有ドライブアクセスログ・期間:QRコード運用1〜3週目)

紙を減らし、常に最新版を見られる形にしようと考えた。掲示物をすべて社内共有ドライブの文書に集約し、各掲示スペースにQRコードのシールを貼る計画を立てた。読み取ればスマホの画面でいつでも最新の内容を確認できる、という設計だ。印刷や貼り替えの手間もなくなる。悪くない話に思えた。

情シスの担当者に頼んでQRコードを12枚作ってもらい、ラミネート加工をして掲示スペースに貼った。かかった費用は用紙代とラミネート代だけで数百円ほどだった。共有フォルダの構成も、品質速報・作業標準・安全連絡の3階層に分けて、担当者が更新すれば全員が同じ最新版を見られるようにした。共有フォルダの分け方そのものは、今見返しても使いやすい形だったと思う。

1週目、朝礼で切り替えを説明し、古い紙を順番に剥がしてQRコードへ差し替えた。共有ドライブのアクセスログを見れば、誰がいつ読んだかも分かる仕組みだ。ログの画面を初めて開いたときは、少し得意な気持ちになった。

2週目に入っても、ログに残ったアクセス数はゼロのままだった。周知が足りないのだろうと考え、朝礼で再度案内し、リーダー会議でも念を押した。「読み取り方が分からない人がいたら教えてあげてください」とも伝えた。3週目に入っても、アクセス数はやはりゼロだった。

アクセスゼロの理由

アクセスゼロの原因構造を示す図
アクセスゼロの原因構造 ※筆者の運用記録(対象:作業者ヒアリング8人・期間:QRコード運用3週目)

おかしいと思い、現場の作業者8人に直接聞いて回った。答えは拍子抜けするほど単純だった。「スマホは更衣室のロッカーに置いてきているので、フロアでは読めません」。

当社の製造フロアは異物混入と労災の防止を理由に、私物のスマホの持ち込みを禁止している。入社時の教育で毎回説明している規則で、私自身も何度も部下に言い聞かせてきたはずのものだ。QRコードを貼った場所は、まさにその持ち込み禁止のエリアの中だった。念のため自分でも更衣室のロッカーを見に行くと、施錠された扉の向こうに人数分のスマホが並んでいた。設計の段階で、自分が決めたルールと自分がやろうとしていることが正面から矛盾していると、気づいてすらいなかった。

この持ち込み禁止のルールは、数年前に金属片の混入クレームをきっかけに定めたものだった。当時の是正処置報告書を読み返すと、「私物の携行品を製造区域に持ち込ませない」という一文がそのまま残っている。ルールを作った経緯までは覚えていたのに、日々の運用に落とし込むときにはすっかり抜け落ちていた。

他にも理由は重なっていた。手袋をしたままでは画面を操作しづらいという声があった。検査室の照明が反射してコードが読み取りにくいという指摘も出た。ベテランの検査員からは「紙の方が一目で全部見えて早い」という感想も聞いた。

原因は一つに絞れなかった。ただ、根っこにあったのは「読む手段そのものがそこに存在しない」という、もっと手前の見落としだ。私は印刷や貼り替えの手間を減らすことばかりに気を取られ、掲示物を見る人がその瞬間どこで何を持っているかを確かめていなかった。

紙とQRを両方残す形に

紙とQRの再配置フローを示す図
紙とQRの再配置フロー ※筆者の運用記録(対象:掲示物42枚の再配置・期間:見直し実施2週間)

いったんQRコードをすべて剥がし、フロアの掲示物は紙に戻した。ただし以前と同じ紙には戻さなかった。

まず内容を絞り込んだ。安全に直結する注意喚起と当日の変更点だけをA4一枚にまとめ、文字の大きさと行間を見直した。42枚あった掲示物のうち、フロアに残したのは18枚だけだ。残りの24枚は2つに分けた。12枚は休憩室へ移し、残る12枚は掲示という形をやめて朝礼の口頭連絡に切り替えた。班長からは「紙が減った分、朝礼で話す内容を選ばないといけなくなった」と苦笑まじりに言われたが、それも狙いの一つだった。

QRコードは、スマホの持ち込みが許されている休憩室の掲示板に移した。作業手順の詳しい動画や過去の改訂履歴など、フロアで即座に必要ではないが後で見返したい情報をそこに集約した。切り替えの2週間は、休憩室のQRコードの前で足を止める人がいるかを毎日確認して回った。最初の3日間はやはり反応が薄かったが、4日目に検査員の一人がスマホをかざしているのを見つけたときは、思わず声をかけそうになった。

夜勤帯には日中の朝礼で伝えた内容が届かないため、試しに引き継ぎノートの表紙にも同じQRコードを貼ってみた。夜勤リーダーからは「あることは分かったが、休憩中にわざわざ開く人はまだ少ない」という率直な感想が返ってきた。ここは完全には解決できていない部分として、そのまま次の課題に回すことにした。

半年たった掲示物の姿

掲示物運用の前後比較を示す図
掲示物運用の前後比較 ※筆者の運用記録(対象:フロア掲示物運用・期間:切替前〜切替後半年)

切り替えから半年がたった。フロアの掲示物は18枚のまま、内容だけを毎週更新している。休憩室のQRコードは、共有ドライブのログで週あたり15回前後の閲覧が続いている。

ヒヤリハット報告に「掲示の注意点を見て気づいた」という記述も、この半年で4件出てきた。以前は0件だったから、小さいが確かな変化だ。そのうちの1件は、休憩室で新しい検査手順の動画を見た若手が、翌日の作業で手順の変更点を思い出し、先輩に確認してから作業を始めた。掲示が実際の行動を1つ動かした、初めての手応えを感じた出来事だった。別の1件では、材料変更の連絡動画を見た担当者が、切替日を勘違いしていたことにその場で気づき、前日のうちに確認の連絡を入れてくれている。印刷と貼り替えにかかっていた月あたりの用紙代も、以前の半分ほどで済むようになった。

数字だけ見れば地味な変化だが、掲示物が誰かの行動に一度でもつながった記録が残ったこと自体、以前にはなかったことだ。今の配置が完成形だとは思っていない。休憩室に来ない交替勤務者への届け方は、まだ答えが出ていない。夜勤帯は休憩の取り方も分散していて、同じ掲示板でも見る時間帯がまちまちだからだ。この点は次の課題として残っている。

振り返ると、私が最初にやるべきだったのは道具選びではなく観察だった。掲示物を貼る前に、読む人が何を持ち、どこに立ち、どれくらいの時間そこにいるのかを見ていれば、更衣室のロッカーに行き着いていたはずだ。半年かけてようやく、掲示物は「貼る側の都合」ではなく「読む側の状況」から設計するものだと腹落ちした。

もし同じことをやるなら、順番はひとつだけ変えたい。ツールを決める前に、情報を受け取る側がそのとき何を持ち、どこに立っているかを、自分の足で見て回ることだ。私はそれを後回しにしたせいで、3週間のアクセスゼロという答え合わせを買って出る形になった。

掲示板の運用そのものを見直す観点は、ものづくりポータルの品質KPIの朝礼・見える化ボード運用にも整理されている。掲示の目的から設計し直したい方はあわせて参照してほしい。

参考書籍

掲示物を剥がして回っていた週に、本棚から引っ張り出して読み直したのが遠藤功氏の『現場論』だった。現場の情報を「見えている」で終わらせないという指摘が、そのとき一番こたえた。

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現場パトロールが形だけになりかけて、やり直した話: 巡回という別の「形骸化」を立て直した経緯を書いている。壁ではなく足で回る仕組みの話だが、つまずいた場所はよく似ていた。

5S点検表が「点をつけるだけ」になっていたのを直した話: チェックだけが目的化した仕組みを直した記録。読む側の行動を起点に設計し直す発想が共通している。

本記事は筆者個人の運用記録に基づく体験談です。設備・掲示のルールは事業所や業種によって異なるため、実施の際は自社の安全管理規程を確認してください。

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この記事を書いた人

製造メーカーに10年以上。検査員から始めて生産技術・品質保証・品質管理・新規事業開発を経験し、いまは管理職。若手のころの失敗も含めて、現場で見たこと、試したことを書いています。座右の銘は「ピンチはチャンス」

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