金曜の16時過ぎ、生産管理の課長が私の席に来て、来週から主力ラインの生産量を4割増やすと告げた。得意先からの追加発注が急に決まったという。
「検査体制はそのままで大丈夫か」
そう聞かれ、私は即答できなかった。今の検査員の人数では、全品番を今までどおりの頻度で検査するのは物理的に無理だとすぐに分かったからだ。
頭の中では、月曜からの生産計画表と検査員のシフト表が同時に浮かんでいた。どちらも見た瞬間に、単純な足し算では帳尻が合わないことが分かる。金曜の夕方に突きつけられた宿題としては、あまりに重かった。
全部は検査できない週末
週末のうちに現状を整理した。検査員は私を含めて6人、対象の品番は32種類。通常の増産であれば土日出勤で吸収できるが、今回は月曜の朝から4割増しの生産が始まる。検査員を急に増やすことはできない。中途採用も社内異動も、早くて数週間はかかる。
土曜の朝、私は自宅の食卓にノートパソコンを広げて品番の一覧を眺めていた。休日出勤ではなく、あくまで自主的に考えていただけだ。それでも頭からこの件が離れなかった。
土日のうちに考えたのは3つの選択肢だった。1つ目は全品番の抜取検査率を一律に下げる。2つ目は品番ごとにリスクの大小で検査の濃さを変える。3つ目は残業を増やして今までの頻度を維持する。
どれも一長一短だった。楽な道はどこにもなさそうだった。

3つの選択肢の限界
残業で吸収する案は、金曜の夕方に勤怠の一覧を見返した時点で難しいと分かった。すでに別の品質改善プロジェクトで残業時間が上限に近い者がいる。部下の顔を思い浮かべながら「残業を増やせ」と言うのは、正直気が進まなかった。
一律に検査率を下げる案も、頭では楽だが危うい。過去にクレームがあった品番も、今月から取引が始まったばかりの品番も、同じように検査を薄くしてしまう。それは品質保証の役割を放棄しているのと変わらない気がした。
残ったのは、品番ごとにリスクを見極めて検査の濃さを変える案だった。ただし、これも「リスクが高い」の感覚だけで決めると、後から説明がつかなくなる。誰かに「なぜこの品番だけ薄くしたのか」と聞かれたとき、感覚では答えになっていない。基準を先に決めておく必要があった。
月曜の朝までに決めるしかなかった。
優先順位を決めた4つの基準
土曜の午後、私は4つの基準を紙に書き出した。
①クレーム履歴の有無
過去1年以内にクレームや社内不適合が出た品番を最優先にする。32品番のうち5品番が該当した。
②立ち上げ直後かどうか
取引開始から半年未満、あるいは仕様変更から間もない品番も優先度を上げる。該当は4品番、うち1品番はクレーム履歴とも重なった。
③出荷までの猶予
ロットごとの出荷予定日までの日数が短いものを優先する。猶予が3日を切っているロットは、その場で見つかった不具合が是正処置に間に合わない。
④後戻りできるかどうか
社内で追加加工や仕分けができる品番は、検査を薄くしても後から拾い直せる。逆に、出荷後は現地でしか手直しできない品番は優先度を上げる。
この4つ目の基準を思いついたのは、以前担当した別の品番で、出荷後の手直しに得意先の生産ラインを一時的に止めてもらった苦い記憶があったからだ。あのときの謝罪の重さは、今でも忘れられない。

次に、この4つを品番それぞれに当てはめていった。①か②に当たる品番は、重複の1品番を除くと8つ。当初は、ここへ③④だけに当たる品番を足して「厚め」にするつもりでいた。ところが実際に照らしてみると、③や④に当たる品番はすべて①か②とも重なっていて、足す先がなかった。結果として厚めは8品番のまま落ち着いた。
残りは、4つのどれにも当たらないものを「薄め」、それ以外を「従来どおり」とした。1品番ずつ基準に照らして分けていく作業は単純なようで、思いのほか時間がかかった。
分類が終わったのは日曜の夜だった。厚めが8品番、薄めが11品番、残る13品番が従来どおり。数字にしてしまえばそれだけのことだが、この振り分けの裏には32品番ぶんの迷いがある。

決めた瞬間、迷いは消えなかった
正直に書くと、「薄め」に分類した品番を決める瞬間が一番迷った。今まで問題が起きていないというだけの理由で検査を薄くしていいのか、頭の中で何度も自問した。
今まで大丈夫だったから、これからも大丈夫とは限らない。品質保証の仕事をしていれば、誰もが一度は口にする言葉だ。
それでも、増産という現実の前で、全部を厚くする余力はなかった。限られた検査時間をどこに配分するかという問題である以上、優先順位をつけないという選択肢自体が、実質的には「先着順」という別の優先順位を選んでいるのと同じだと思い直した。
日曜の夜、私はこの考えをようやく自分の中で飲み込んだ。翌朝、検査員たちにどう説明するかを考えながら、遅い時間まで資料を作り直していた。
月曜の朝礼で、私はこの3段階の分類と理由を検査員全員に説明した。「なぜこの品番が薄めなのか」を聞かれたときに答えられるよう、判断基準を紙にまとめて配った。
「これは本当に大丈夫なんですか」
ベテランの検査員から、そう聞かれた。感覚ではなく基準で答えられたのは、この週で一番助かった場面だった。
増産の一週間が明けて
月曜から始まった増産週は、思っていたより落ち着いて進んだ。検査員たちも、なぜ厚めと薄めに分けたのかを理解したうえで動いてくれたので、現場からの混乱や問い合わせはほとんどなかった。
結果として、その週にクレームや社内不適合は発生しなかった。「厚め」に分類した品番のうち2品番で軽微な寸法のばらつきを検出し、出荷前に是正できた。もし一律に検査を薄くしていたら、この2件は見逃していた可能性が高い。従来どおりの頻度で見た13品番からは、その週のうちに異常は出ていない。
金曜の夕方、私は検査員たちに簡単な報告をした。「今週は大きな問題なく終われました」。その一言を言えたことに、ほっとした。
一方で、「薄め」に分類した品番の1つで、出荷から10日ほど経ってから得意先の受入検査で小さな傷が見つかった。幸い不良として返品にはならず、次ロットからの改善で済んだ。それでも、優先順位の外に置いた品番で問題が出たという事実は重く受け止めている。
報告を受けた瞬間、頭の中で先週の分類作業が一気によみがえった。あの品番は、どの基準にも引っかからなかったはずだ。

基準は正しかったか、今も答えは出ない
この一件を4つの基準に当てはめ直すと、傷が出た品番はどの基準にも該当しない「本当に薄めてよい」品番だった。基準そのものは、今振り返っても大きくは外していなかったと感じている。それでも、基準に当てはまらない品番でも一定確率で何かが起きるという当たり前の事実を、数字ではなく実感として持てたのは大きかった。
厚めに分類した品番だけを見れば、今回の判断は正しかったと言える。だが薄めに分類した品番全体で見れば、1件の見逃しが起きている。どちらの見方をするかで、この一週間の評価はまるで違って見える。
品質保証の仕事をしていると、こういう「正解のない振り返り」に何度も出会う。今回もその1つだった。
この経験を整理する過程で、以前読んだ「仮説思考」という本の、限られた情報でまず当たりをつけて動き、外れたら修正するという考え方を思い出した。全品番を均等に見る余力がない以上、当たりをつけて優先順位をつけること自体は間違いではなかったと、今は思っている。
ただし、外れた部分を放置していいという話ではない。当たりが外れた品番を次にどう扱うかまで含めて、初めて1つの判断が完結するのだと、この一件で学んだ。
次に同じような増産が来たら、4つの基準に「直近3か月の生産数」も足そうと思っている。数が多いほど、たとえ確率は低くても不具合が出る絶対数は増えるからだ。今回はそこまで頭が回らなかった。
もう1つ、今回できなかったこととして残っているのは、得意先への事前の一言だ。増産の受け入れを決めた時点で、検査の頻度を一時的に見直す可能性があると伝えておけば、受入検査での見つかり方も違ったかもしれない。次に同じ場面が来たら、そこも先に変えておきたいと思っている。
基準は一度決めて終わりではなく、増産のたびに見直すものだ。同じ表を使い回すのではなく、そのときの人員・品番・得意先の状況に合わせて、毎回ゼロから組み立て直すつもりでいる。この考え方は、検査員全員にも伝えておきたい。

限られた時間の中で何から確認するかという考え方は、ものづくりポータルの優先順位(トリアージ:上から確認)のページとも重なる部分があるので、あわせて読んでもらえたらと思う。
参考書籍
仮説思考(内田和成)。情報が全部そろうのを待たず、限られた材料で当たりをつけて動くという考え方が、今回の優先順位づけを振り返るときの支えになった。
【PR】
|
|
次に読む
特採を出すかどうかで一番迷った日の話――限られた基準の中で判断を下す難しさという点で、今回の話と重なる。
少量多品種化、検査のやり方を組み替えた3週間――検査体制そのものを見直した記録として、続けて読むと流れがつかみやすい。
この記事は筆者個人の経験に基づく記録であり、紹介した優先順位づけの基準がすべての現場に当てはまるとは限らない。検査体制の変更は自社の品質マネジメントシステムや顧客との取り決めに沿って、責任者の判断のもとで行ってほしい。