会場を出た瞬間、リュックの重さで気づいた。紙袋2つ分のパンフレットと、名刺入れに収まりきらない量の名刺。それなのに、上司に「で、何か持ち帰れた?」と聞かれた瞬間、私は言葉に詰まった。2年前、初めて一人で展示会に行かせてもらったときの話だ。会場には3時間半いたはずなのに、手元に残ったのは紙の束だけだった。
パンフレットの山だけが残った
その展示会は、ものづくり系の技術と設備を集めた総合展だった。上司からは「品質保証の視点で、うちに使えそうな技術がないか見てきて」とだけ言われて送り出された。会場は広く、ブースの数は数えていないが200は下らなかったと思う。私は目についたブースに片っ端から立ち寄り、担当者の説明を聞き、パンフレットをもらい、名刺を交換した。それを繰り返しているうちに閉場の音楽が流れ、気づけば両手がふさがっていた。
帰社後の報告は散々だった。「面白かった技術はどれ?」と聞かれても、印象に残っているのは説明員の話し方であって、技術の中身ではない。もらった資料を後日読み返しても、どのブースがどんな課題を解決する技術だったのか、記憶と資料が結びつかなかった。結局、報告書には「多数のブースを視察し、AI活用や検査自動化の潮流を確認した」という、当たり障りのない一文しか残せていない。上司はそれ以上追及してこなかったが、私自身、何を見てきたのか自分でもよく分からないまま、その週は終わった。もらった名刺の束も、結局一度も見返さないままファイルの奥にしまい込んだ。
今年はどう回るか、3案
翌年も同じ展示会への視察が私に回ってきた。今度こそ同じ轍は踏みたくないと思い、会場に入る前に「今年はどう回るか」を決めておくことにした。考えた案は3つある。1つ目は、事前に出展社リストを見て回るブースの順番と時間配分を細かく決めておく「計画型」。2つ目は、前回同様その場の直感でブースを選ぶ「直感型」。3つ目は、会社が今抱えている課題を1つだけ選び、それに関係するブースだけを重点的に回る「一点集中型」だ。3つとも、実際にやったことがある同僚の話を思い出しながら、ノートに手書きで書き出してみた。書き出すだけで、頭の中でぼんやり考えていたときより選択肢の輪郭がはっきりした。
決断の前に、制約も書き出した
3案を選ぶ前に、自由に動けるわけではないという事実も先に書き出しておくことにした。今回の視察は日帰り出張で、会場にいられるのは実質6時間ほど。交通費と宿泊費の申請はすでに日帰り扱いで通っており、後から延泊に変えることはできない。報告書の提出期限は金曜17時と決まっていて、視察は水曜だったから、まとめる時間も2日しかなかった。会場はワンフロアとはいえかなりの広さがあり、端から端まで歩くだけでも時間がかかることは前年の経験で分かっていた。こうした制約を先に書き出しておくと、3案のどれが現実的かを考えるときの物差しがぶれにくくなる。

判断基準を3つに絞る
3案を比べる前に、何を基準に選ぶかを先に決めることにした。基準は3つ選んだ。1つ目は「帰社後の報告のしやすさ」。上司や周囲に、何を見てきたかを具体的に説明できるかどうかだ。2つ目は「当日の疲労度」。過去の経験上、判断材料が多すぎると夕方には頭が働かなくなる。3つ目は「思いがけない発見が入り込む余地」。展示会に行く意味の一部は、探していなかったものに出会うことでもあると私は思っている。優先順位は、報告のしやすさを最優先に、疲労度、発見の余地の順にした。順位を先に決めておかないと、当日の気分で基準の重みが入れ替わってしまうと考えたからだ。

3案を基準に当ててみる
「計画型」は事前に決めた分だけ報告はまとめやすいが、リストを消化することに気を取られて、疲労度も発見の余地も下がると予想した。以前、別の部署にいた同僚がこの方式で展示会に行き、「予定を消化するだけで精一杯だった」とこぼしていたのを思い出したからだ。「直感型」は発見の余地こそ高いものの、去年の私自身がまさにそれで、報告のしやすさが最も低かった。「一点集中型」は、課題を1つに絞る分だけ回るブースの数は減るが、説明を聞く時間を長く取れるので報告の材料が濃くなると考えた。疲労度についても、目的が1つならば判断に迷う回数そのものが減ると見ている。
3案をこの3基準で並べてみると、報告のしやすさは一点集中型が最も高く、疲労度も一点集中型が最も軽い。発見の余地だけは直感型が上回る。計画型はどの基準でも一番にならず、報告のしやすさは中どまり、疲労度と発見の余地は直感型と並んで下位だった。優先順位の1位と2位をどちらも満たすのは一点集中型だけだったので、選ぶこと自体に迷いはあまりなかった。

「1つだけ」に決めた理由
結局、私が選んだのは「一点集中型」だった。ただし、課題を1つに絞るだけでは前年の反省を活かしきれないと思い、ルールをもう一段具体的にした。「持ち帰る物を1つだけ決めてから会場に入る」というルールだ。今回選んだ持ち帰り物は、「検査記録の手書き作業を減らす方法について、当社と同程度の小ロット多品種の工場での実例を1つ」に決めた。当社が抱えていた課題そのものであり、上司にも報告しやすく、探す対象が1つなら疲労も抑えられる。3つの基準をいちばん満たしていたのがこの決め方だった。決めた瞬間、前回の視察で感じていた「何のために回っているのか分からない」というもやもやが、初めてすっと消えた気がした。
迷いがなかったわけではない。目的を絞りすぎると、視野も狭くなるのではないかという不安は最後まで残っていた。同僚に相談してみたところ、「絞りすぎて失敗しても、絞らずに何も持ち帰れないよりはましじゃない」と言われ、その一言で気持ちが固まった。去年の「多数のブースを視察した」という報告に戻るくらいなら、と腹をくくって会場に向かうことにした。
会場で実際にやったこと
当日、私は事前に出展社リストを見直した。「検査」「記録」「自動化」という言葉が出ているブースだけを7つに絞り込む。その7つだけを、目的を持って回った。担当者には最初に用意していた一つの質問をそのままぶつけた。「小ロット多品種の工場で、検査記録の手書きをどう減らしているか、実例を教えてほしい」という質問だ。同じ質問を繰り返すうちに、聞き方も少しずつ具体的になっていった。3つ目のブースからは「御社の場合、1ロット何個くらいですか」と逆に質問されるようになり、そこで初めて対等なやり取りになった気がした。7つ中4つのブースで、当社の生産規模に近い導入事例を聞けている。うち1社の事例は、ロットサイズも品種数も当社にかなり近く、担当者の説明も具体的だった。
この日は結果的に、予定していなかった1つのブースにも立ち寄っている。通路を移動している途中、検査記録とは関係のない省人化ロボットのデモに人だかりができていて、つい足を止めた。目的からは外れていたが、5分ほど眺めて名刺交換だけして次に進んだ。持ち帰る物を1つに決めたことで判断は速くなったが、寄り道そのものをゼロにはできなかった。目的を絞っていても、目に入るものまでは絞り切れなかった、というのが正直なところだ。

基準は正しかったか
帰社後の報告は、前年とはっきり変わった。「小ロット多品種の工場で、検査記録の手書きをタブレット入力に置き換えた実例を1件、詳しく聞いてきました」という具体的な一文で書き始めている。上司からも「それを次の会議で共有してほしい」と、その場で次の行動につながる反応が返ってきた。回ったブースの数は前年の3分の1程度だったと思うが、報告の中身は前年より濃かったと感じている。共有した内容は結局、翌月の設備投資検討会の資料にもそのまま引用された。

基準が完全に正しかったとまでは言い切れない。省人化ロボットのブースのように、目的の外側にも学びはあったし、目的を1つに絞ったことで見えなくなったものも、きっとあったはずだ。同僚の中には「1つに絞るのはもったいない」と言う人もいて、その感覚も分からなくはない。ただ、少なくとも「何を持ち帰るか」を先に決めておくと、会場での判断に迷う時間が減ることは私なりに実感できた。次に展示会へ行く機会があれば、持ち帰る物は1つ、寄り道は1つまで、くらいの緩さでもう一度試してみたいと思っている。
展示会・外部セミナーの視察そのものの進め方は、ものづくりポータルの「A11 展示会・外部セミナーの視察」にもまとめている。事前準備から報告のまとめ方まで、今回の反省を踏まえて私が読み返している内容だ。
参考書籍
「持ち帰る物を1つ決める」という考え方を整理する際には、内田和成さんの『仮説思考』と『論点思考』を読み返した。前者は限られた情報から当たりをつけて動く姿勢、後者は「そもそも何を解くべきか」を先に決める姿勢を扱っており、どちらも今回の判断の下敷きになっている。
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次に読む
「QC検定の勉強を、現場の実務からやり直した話」 — 学ぶ範囲を絞ってから動くという点で、今回の展示会の回り方と考え方が近い。目的を先に決めることの効果を別の角度から扱っている。
「後輩に品質保証の仕事を引き継ぐとき、最初に渡した3枚」 — こちらも「何を優先して渡すか」を先に絞り込んだ話。限られた時間の中で何を選ぶかという判断の型として読み比べてほしい。
※本記事は筆者個人の経験に基づく内容です。展示会での行動計画は業種や目的によって最適な形が異なります。参考としてご自身の状況に合わせてご判断ください。